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ロマンチックなメアリ


 夜色のキャンバスに、真っ白な絵の具が線を描いては消えて行く。そんな陳腐な表現すらも、情緒に変えてしまいそうな空だった。
 自分らしくもない感想に、アリスは一瞬呆れるが、それもすぐに消え去った。何せ、目の端から目の端まで、次から次へと星が流れて行くのだ。飽きる暇も、正気に返る暇もない。渋る恋人を説き伏せて、草の上に寝転がった甲斐があったというものだ。

「どうだ?」

 だがしかし、あからさまに何かを期待するような声には、正気に返らざるを得なかった。

「どうって……さすがは夢ねって感じかしら」

 空から視線を外し、隣で同じように寝ころぶ恋人を見やる。恋人――ナイトメアは、身体ごとアリスに向けていた。部品だけなら芸術的に整った顔が、情けなさそうにしかめられる。

「君は相変わらず……」
「可愛げがないって?」

 体の弱い彼を、こうして夜に野外で寝ころばせるなど、普通に考えればありえないだろう。一応毛布をぐるぐる巻きに被せてはいるが(ナイトメアが渋ったのは主にこの部分だ)、それでも、ここが現実だったらきっとやっていなかった。彼が自分である程度の調節を出来ると知っているから、アリスも押し切ることができたのだ。
 アリスとナイトメアは今、夢の中で流星群を眺めているところだった。
 身体の下敷きにした草は毛足の長い絨毯のように柔らかく、夜露で服がぬれることもない。あまりリアルにその辺りを想像すると、いつの間にか水滴が湧いてきたりもするが、その辺りの調節はアリスも慣れたものだった。
 こうして夢の中で逢うのも、もう何度目か。
 夢魔だと名乗る彼と、夢の中で会話をするうちに、友人になり、恋人になり――彼と共にいたいという、ただそれだけの理由でこの世界に残ってしまってからは、それまでよりも頻繁に会っているように思える。

「そうは言っていないさ。リアリストだと思っただけだよ。ただ、たまには手放しで褒めてくれても、バチは当たらないと思うぞ」

 恨みがましげな視線を受けて、アリスはくすりと笑った。蓑虫よろしく毛布にくるまった姿で拗ねられても、おかしさしか感じない。

「なっ……! 君がくるまれと言ったんだろう! 全く、だから嫌だったんだ私は……」
「でも、あなたが何も被らずに夜の野外で寝ころぶなんて心配すぎるわ。身体を冷やすのはよくないわよ」
「君、顔が面白がっているぞ」

 不服そうに言われ、アリスは何も返さずに視線を天に戻した。「星が綺麗ねー」とわざとらしく呟くと、これまたわざとらしく大きなため息が返ってくる。
 そして、ナイトメアが不意にアリスの方へと近寄ってきた。
 真横にぴったりと体を付けられて、何をするつもりなのかとほんの少し緊張する。恋人としては問題のない距離感なのかもしれないが、今さっきまでそういう雰囲気ではなかったはずで……。
 伺うように視線だけで彼を見遣る。手が伸びてくるのではないかと、ほんの少し想像する。その想像も、彼には筒抜けなのだと思うと、随分とはしたない想像をしてしまったような気がして顔に熱が集まった。
 けれども予想は外れ、身体に触れたのは、手よりもずっと柔らかい何かだった。

「……?」

 視線を身体におろし、その「何か」に触れて確かめる。
 ブランケットだ。先程までナイトメアの身体を包んでいたものだった。隣を見れば、ナイトメアの身体と自分の身体に、半分ずつそれがかかっている。

「身体を冷やすと良くないのは、君だって同じだろう。――あー、その、期待に応えられなくて申し訳ないが……」
「あ、ありがとう……」

 後半の言葉には答えられなかった。期待、なんて露骨な表現で指摘されるとは思っていなかっただけに、心の準備ができていない。口先で否定したって、この男が相手では意味がない。
 期待――そう、期待、だったのかもしれない。アリスはナイトメアの恋人で、この人に触れたいと思っている。
 心を読みとられて何か言われる前にと、毛布の中で手を動かして、そっと彼の手に手を重ねた。

「……!」

 今度は、ナイトメアの身体が強張った。相変わらず、妙なところで照れ屋だ。
 その間にも、流星はひゅんひゅんと夜空を自在に駆けている。
 途切れることなく、いつまでも続く流星雨。終わりのない天体観測。あそこで流れているのは、宇宙をさまようゴミの燃えカスですらなく、単なる光のようなものだ。夜色のキャンバスに、真っ白な絵の具。描かれただけの世界。さすがは、夢だ。

(それでも……所詮は夢、とは思わないわ)

 強く、強く、願うようにそう思う。ナイトメアに読みとって欲しかった。
 期待も、不安も、全てさらけ出しても怖くはない。

(……なんて。少し雰囲気に酔いすぎかしら)
「そこで正気に戻らなくてもいいと思うぞ」
「あいにく、こういう性格なのよ」
「……君は、自分で思うほどひねてはいないさ」

 毛布の中で重ねていた手を握られる。横を見れば、半身を起こしたナイトメアが優しく微笑んでいた。
 そっと顔が寄せられ、目のふちに唇が落とされる。

「私から見れば、清らかすぎて怖いくらいだ」
「買いかぶりすぎよ」

 アリスも起き上がり、ナイトメアの隣に座る。男性にしては細い腕に寄り添い、頬に口づけを落とした。

「私は、清らかとは言い難いわよ。……期待、しているもの」
「なっ……! あ、アリス、その、女性がそういうことを言うのはだな……」
「ダメかしら?」
「だ、駄目ではないが……」

 まだ何か言いかける唇を強引に塞いだ。軽く重ねるだけの口づけは、何かを誓うような気分になる。やはり、流星に酔って感傷的になっているらしい。
 顔を離し、見つめ合う。赤くなったナイトメアが、それでも、アリスの後頭部に腕を回した。
 それから星が五つほど流れた後、ナイトメアの唇が、ゆっくりとアリスに降ってくる。目を閉じてしまえば、そこが夢でも関係ない。
  • 2014/10/08 (Wed) 00:42:03

ジェリアリでテーマがアリスの下着

 ええつまりね、この状況に至るまでにはとてもとても長い道のりがあったことは慥かなのよ。それも始まりを忘れてしまいそうなくらいに長くて、とてもくだらない顛末があるの。それでも聞きたいって云うなら話すけれど、乙女な小説みたいにドラマチックな出来事でもないし、きっと貴女も途中で飽きてしまうと思うわ。
 ……それでも聞きたい? そうね、本を読むよりは楽だし、シドニーの愚痴も云い飽きたって云うなら、少しぐらいは話してもいいけれど……絶対に誰にも話さないって約束よ? 私は貴女が女だから話すんだから。
 ジンクスってあるじゃない? サムシングフォーや黒猫が横切ると不吉、なんて有名よね。まあシドニーの前で云った日には、場所によっては黒猫は幸運の吉兆だって反論してきそうだけれど、それは置いておくとして。
 そう、だから、気分としてはね、ジンクスのようなものだったのよ。とっても馬鹿げたおまじないよ。浮気防止には恋人に変な下着を贈るといいって、エースが云ったものだから……。
 いえ、違うの。彼が浮気してるって証拠はどこにもないし、第一、そんな時間なんてどこにもないヒトだってことは私が一番知っているもの。だから、足りなかったのは彼の時間ではなく、私の自信だったのよ。余所者であること以外に付加価値のない女に、彼の少ない砂時計の砂をどれだけ使わせていいものかしら。彼は、いつまで私にそれを使うだけの価値を見いだしてくれるかしら。ヒトの気持ちは不安定で移ろいやすいものだもの、永遠なんて願えないことはよく知っているわ。
 ……まあ、それでね。私も少し、魔が差したの。貴女は知っている? ユリウスってとっても服の趣味が悪いと云うか……頓着しないのよね、とにかく。普段着は比較的まともな方だけれど、パジャマなんてとても酷くて……。
 なんで私が知っているか? それは、まあ、私もこの世界にきて長いもの。知らないことは一つずつ減ってきているってことよ。たとえばシドニーのコレクションの中でどれが一番に値が張ったとか、貴女の今一番のお気に入りのおやつとか。ええもちろん、貴女たちが私に教えてくれたことよ。私自身が調べた
ことではないけれど、自然と知ってしまうこと。ユリウスのパジャマだってそのうちの一つでしかないわ。
 話を戻すけれど。だから、ユリウスを無理矢理連れて行ったのよ。そう、男性用の下着を売っている場所に。……云わないで。今思えば、慥かに自分がどれだけ浅はかで愚かだったか痛感するより他ないわ。ねえクリスタ、貴女、ヒトを罵倒する語彙がシドニーに影響されてない? 私、あのヒト──兎は、とても優秀なのは認めるけれど、子供にはあんまりに悪影響だと思うわ。
 ユリウスには誰のためのものかなんて教えなかったわ。あの人、私が彼とその……所謂恋人だなんて、知りもしなかったのよ。きっと美術館のあの人の部屋は防音なのね。そうでなければあの人の耳そのものが防音仕様なのよ。まあ文句がその分だけ少なく感じられたから、それは別によかったの。ちなみに選んでもらった柄は黄色の地にピンクの象がたくさん描かれているものよ。だいぶ投げ遣りだったから特に意図はなかったと思うんだけれど、素でやったのなら、ユリウスは私が思っている以上に……いえ、云わないでおきましょう。きっと真面目に選んでくれたんだし、私はあの人の善意を信じるわ。
 ……それで、贈ったのかって? 結果が今、ここにあるじゃない。
 そう、そうよ、贈ったの。躊躇ったけれど、贈ったわ。開いてすぐはとても驚いていたけれど、そのうちにぼつぼつとだけれど、理由を話さざるをえなく
なって……。まあ結果的に、バレたのよね。なにがって、ユリウスと出かけたことが。そうよね、よく考えれば当然だわ。いい気がするはずがない。でもその時は、普通だったのよ。ええ、誓って疚しいことはなかったし、これからも絶対にないって断言できるから。自分に対してだけは不変を確信できるのは、自分の浅ましさと根暗さを知っているからだけれど。
 彼は笑って、私の頭を撫でてくれたわ。ここで出されたお菓子よりも甘ったるい時間だった。笑顔でその下着を受け取って、心配いらないって云ってくれたから、一時的にせよ不安は消えたの。
 ここで終われば事態は解決、一件落着、めでたしめでたしなのだけれど。……そうはいかなかったのよね。
 プレゼントがあるって呼び出されたのよ。プレゼントって、いくらもらっても慣れなくて、いつも大切にしまうことしかできないのだけれど、たぶん、彼もそんな私の性質を知っていたのね。今度のものはしまいこまずに、是非使ってくれって云われたの。綺麗に包装された箱はいかにもな少女趣味で、まず、その段階であれって首を傾げた。いつもは私の趣味に合わせて、大人っぽいデザインのものが多かったから。ねえ、ここまでくればもう先を話さなくてもわかるでしょう? そう、今、私がつけているこの下着。憎らしいくらいにサイズがぴったりなベビードレスが、その中には入っていたのよ。
 私にこんなにいかにも可愛いらしいものが似合うわけないのに、半分は厭がらせなのよ。もう半分? 趣味って云っていたわ。大層な趣味ですこと!
 ええ、ここに来たのは確信犯よ。だって一番に見せてくれって云われたんだもの。せめてそんな約束くらい、破ってもいいと思わない?
 だからくだないってはじめに云ったじゃない。そう、くだらない。恋愛ってとってもくだらないものだわ。だってこういう仕打ちをされてなお、どこかで嬉しいと思っているんだもの。
 ……ちょっと頭を冷やしたいのは慥かだけれど、ごめんなさいクリスタ、氷漬けだけは勘弁してね。だってきっと彼──ジェリコが、私の帰りを待っているもの。あのピンクの象の下着を着てね。
  • スミ
  • 2014/10/05 (Sun) 02:03:20

クロアリ設定のバカップルエリアリ

麦が揺れる。
夕方のオレンジ色の光が反射してキラキラと光る。それが眩しくて、目を細める。
こんなに綺麗な場所で、何をしているのだろう。
景色。景色を見ればいいのだ。
この美しい風景を。
「…エリオット」
「ん?どうかしたのか、アリス」
「…いや、あの」
その先を言う代わりに溜息をつく。
本当に、何をしているのだろう。恋人同士なのだからこの行為はおかしなことではないと思うが、外でやることではないだろう。
アリスは自分を抱きしめている固い手をそっと見つめ、少し迷ってからそこに手を重ねた。
「…エリオット、景色、見ないの」
「何度も見たことあるしな」
思考を別の方向に向けようと思って話しかけたのだが、
むしろ先程より強く抱きしめられてしまった。
後ろから抱きしめてられているが、座っているので疲労は感じない。少し風が冷たく感じていたので、この温もりはありがたいくらいだ。
…ただ1つ文句があるとすれば、エリオットがうなじにキスをしてくることくらいだろうか。
「エリオット」
「どうした?」
こうして言葉を交わしながらも、エリオットはその唇を止めない。痛みは感じないので跡はついていないと思うが、柔らかい感触はしっかりと感じてとれてしまうもので。
「あの、景色見ましょうよ。…綺麗だし」
「そうだけど…アリス、あんたの方が綺麗だ」
「…………は…?」
重ねた手を軽く叩きながら放った言葉に爆弾で返された。顔を見られていなくてよかった。自分は、今とんでもなく間抜けな顔をしているに違いない。
「ばかじゃないの…」
抵抗をする気も失せた。自分からエリオットの背中にもたれかかるようにして顔を上げると、エリオットの顔が逆さに見えた。
「だってよ、太陽も麦もあんたみたいに甘い匂いはしないし…あんたの方がずっと可愛いし綺麗だと思うぜ?」
「ちょ、恥ずかしいこと言わないでよ!」
慌てて顔を元の位置にもどす。
夕焼けなんで言い訳にならないほど顔が熱い。このウサギはなんでこんなにサラッと爆弾を投下できるとだろうか。
「あんた、耳まで赤い」
笑いながらエリオットに言われて、慌てて耳を手で覆う。
「あんたはっ」
振り向いた瞬間に、キスをされる。
手の力が緩んでいたのも計算の内だったのだろうか。
そんな意味のないことも、じきに考えられなくなっていく。
(あぁ、もう)
「ばか」
唇が一瞬離れた隙にそう言ってみる。
こんな馬鹿を好きになった、
私が一番大馬鹿だ。
  • 黒トカゲ
  • 2014/09/08 (Mon) 00:23:45

度の過ぎたシスコンのリデル姉妹

「見て見てアリスっ!これは川の近くで見つけた光る石で、こっちが森の奥で拾ったガラス瓶なんだ!どっちも俺の宝物なんだよっ!」
「へえ……、あ、でもこの瓶、肩のところの細工が凝ってて、確かにちょっと可愛いわね」
「でしょでしょ?!エリーちゃんは全然わかってくれないけど、君にはちゃんと伝わるんだねっ!」

 真昼の空の下、マフィアの本拠地には不似合いな、きゃっきゃと甲高いピアスの声が響いている。
 どう見ても全部ただのガラクタだろうが、という至極真っ当なはずの突っ込みは、溜め息に溶かして辛うじて押し殺した。相手をしてやっているアリスもきっと同じようなことを内心思っているんだろうが、それでも突っ込まないのがアリスの優しいところだ。

 第一こんなこと、マフィアの本拠地の庭先でやるものでもないが仕方ない。ピアスが宝物を見せる約束をしたとか言って、アリスをしれっと家に連れ込もうとしていやがったので即行阻止したのだ。
 わざわざ俺まで立ち合う羽目になったのは義理堅いアリスが約束を反故にはできないと言い張ったせいだが、断じて他の野郎と二人きりにしてやるものかなんて狭量な理由じゃない。物騒なものをアリスに見せやがったら殺すぞと事前にがっちり釘は刺してあるが、相手はなにしろピアスなので油断は禁物だ。

「ピアスは本当に、可愛いものが好きなのね」
「そうだね、たくさん拾って、俺だけのものにしたいんだっ!あ、でもでも、拾った落し物は俺のものだけど、君にはこれからも特別に見せてあげるね!」
「そう、ありがとう。…………ふふ」
「どうかしたのかアリス?」
「あ、ううん、たいしたことじゃないの。ちょっと思い出しただけ」
「元の世界のこと……、か?」

 俺たちからふと逸らされて空を彷徨った視線に、既視感が過る。
 警戒が声に出ないように気を付けはしたが、それにどれほど意味があっただろう。余所者には気付けないほどの短い時間、ピアスが物問いたげに俺のほうに視線を寄越したことで、内心を見透かされたのを悟って舌打ちしたくなる。
 アリスは確かにこの世界に残ることを選んでくれて、初めての引っ越しに弾かれることもなく、こうして今も一緒にいるけれど。

「そうね、元の……、私の家の話。そういえば、家にもこんな宝箱があったなって」
「アリス、アリスも宝物を集めてたの!?すごいすごい、俺とお揃いだねっ」
「集めてたのは私じゃなかったんだけど、でも私の宝箱、なのかな?私じゃなくて、姉さんが」
「どういうことだ?」

 アリスの、姉さん。
 初めて話を聞いたのは、まだハートの国にいた頃だろう。姉さんは素晴らしい人だと語った横顔が言葉とは噛み合わない苦さを滲ませていて、あんたにそんな顔をさせるなんて碌な女じゃないと思ったことは、今も記憶に焼き付いている。
 けれどそんな苦い思いとは別に、こうして純粋に思い出せるような、楽しい思い出もあるらしい。

「まだ母さんが元気だった頃からずっと、記念にいろんなものを取っておいてくれたの。思い出の詰まったものを残しておけば、たとえ時間が経っても記憶を振り返ることができるでしょう、って」
「ふうん、そういうの、いいとこのお嬢さんっぽい考え方だよな。俺にはどうも想像がつかないんだが、たとえばどんなのだ?」
「そんな大袈裟なものじゃないのよ?クリスマスに交換したカードとか、姉さんの誕生日にあげたプレゼントとか、そういうもの。子供の頃、初めて刺繍に挑戦して姉さんのイニシャルを入れただけのハンカチなんて、縫い目はガタガタだし布地も引きつれちゃっていたのに、それでも姉さんはずっと大切に持っていてくれて。だけどね、大事に仕舞い込んでいたわけじゃなくて、用事のない休日の午後なんかに、よく二人であれこれ見返して笑い合ったりしていたのよ。姉さんはいつだって本当に嬉しそうに思い出を話してくれるから、変にからかわれたりするよりずっと、照れくさかったりもしたけど」
「…………」
「…………」

 普段は鬱陶しいほど饒舌に、空気も読まずに訳のわからないことをぎゃんぎゃん喚いているピアスが黙った。
 頬を染めて陶然と語るアリスの横顔は、ハートの女王を目の前にした時と同じ表情をしている。ハートの城の白兎だの迷子騎士だの、そこらの馬鹿な女共が騒ぐような相手には平然と接しているアリスだが、顔だけ綺麗な女には何故だか滅法弱い。どんなに露骨な色目を使われても嫌悪を示さず、べたべた絡み付く手を振り払いもしない。
 アリスの姉さんと女王が似ても似つかないことは、前にアリス本人の口からはっきりと聞き出している。実際細かいところは色々と違うんだろうが、アリスが纏う空気の色は明らかに同じだ。何より、見ている俺をたいそう面白くない気分にさせるところが一番の共通点。

「私は全然素直で可愛い妹なんかじゃなかったのに、あなたは世界で一番大切な私の宝物よ、って。姉さんは本当に綺麗で誰にでも優しくて、私の憧れの人なの」
「……………………」

 好かれていたのはむしろあんたの方だろう気付けよ、と。

 そう言いたくなるのは俺の育ちが良くないからか、俺がアリスの姉さんを嫌いだからか。
 この場にいるのはアリスを除いてどいつもこいつも五十歩百歩の育ちの奴らばかりなので、俺の疑問に答えてくれる人間は誰もいない。けれど、端から興味なさげに少し離れたところで遊んでいた門番共の動きも止まっているのを見る限り、奴らが今考えている凡そのところは察しがつく。

 そんな水面下で交わされる視線を余所に当のアリスは、イーディスはいつも呆れた顔をしていたけど、なんて言いながら呑気に笑っていて、頬を上気させて語るその横顔が、水を差す言葉の全てを飲み込ませる。
 マフィアの上役揃いの俺たちをこれだけ黙らせるなんて、やっぱりアリスはとんでもない悪女なんじゃないだろうか。


  • みなみ
  • 2014/09/06 (Sat) 22:24:46

ブラッドを刺そうとしたグレイが誤ってアリスを刺し殺してしまうグレアリ死にネタ

冷えて凝ったアリスの体を膝の上に抱え、陶器のような白い頬を撫でる。
滑らかな輪郭をゆっくりとなぞりながら、彼女はなんて特別なのだろうと思う。

アリスは最初から余所者という特別な存在だったけれど、俺にとってはそんな肩書き以上にただ一人の特別な存在だった。
グレイ、と呼ぶ声が。はにかんで笑うまなざしが。指で梳いた流れる髪が。未成熟な体のしなやかさが。彼女の全てが、あまさず特別だった。

細い首筋に触れ、鎖骨の窪みを柔らかく押す。
ゆっくりと丁寧に、ひとつひとつ感触を確かめていく。確かめずにはいられない。
「君は……、本当に特別だな」
俺がこの手で刺したのに。心臓が鼓動を止め、命が抜け落ちてしまったのに。
それなのに体がある。

誰よりも特別な彼女でしかありえないその現象が奇跡のように感じて、より一層胸を締め付ける。
吐き出す言葉も見つからなくて、黙って彼女のまなじりに唇を寄せ、わずかばかり口付けた。
キスをしようとすると、いつだって彼女は何か重大な決意を固めるようにぎゅっと強く目を閉じて、濃やかな睫毛が微かに震えていた。
今は、薄っすらと開いた目蓋から濁った瞳が虚空を見つめ、揺らぐこともない。
それが冷たい拒絶のように思えて、固く硬直した体を抱きしめた。

「アリス、すまない」
耳元に息を吹きかけるように囁くと、ふっと、抱きしめた体が緩むのを感じる。
またリセットの時が来たのだ。

狂った世界は何度でも変化を巻き戻す。
死んで壊れた彼女の体も、巻き戻されて元に戻る。
硬直した体は柔らかさを取り戻し、紙細工のように蒼白だった肌が血色を帯び、青い瞳が元通り澄んだ輝きを放つようになる。

そうして世界が彼女の体を治すたび、俺は強引にそれを割り開いた時のことを思い出すのだ。

こんな所じゃいや、今はだめ、恥ずかしい、そう言ってごねて体を強張らせる彼女の耳に何度も熱く囁くと、いつだって彼女は身を緩め、頬を紅く染めて頷いてくれた。
困ったように眉を寄せながらも俺を受け入れてくれたあの甘美な交わりを思い出すと、巻き戻しによる機械的な体の変化が、まるで彼女が俺を許す合図のように思えてしまう。

殺し合いなど止めて欲しい――そう言って何の力も持たないのに撃ち合いに飛び込んだ、強く優しいアリス。彼女なら、誤って刺し殺した俺すらも許してしまうんじゃないかと、都合の良い勘違いをしたくなる。

「すまない……」
アリスは優しすぎる。死んでもなお、俺の側にいてくれる。
何度でも罪深い俺を拒否し責め、そして許す。
何度でも何度でも。

それでもいつか、この体も『古く』なるのだろう。
壊れても元に戻るとはいえ、継続して壊れればやがて劣化し、古色を帯びていくものだ。
死んで残った体が古くなるとどうなるのだろう?
しなやかな金髪を指に絡ませ、弄びながら考える。
俺達の骸のように消えてなくなるか。いや、特別な彼女はきっと消えたりしないだろう。
もしかしたら、固く冷たいちっぽけな時計に変わる俺達とは逆になるのではないだろうか。
柔らかく温かく、この狭い大理石の小部屋いっぱいに広がる何かになって、俺を包むのだ。
いつまでも消えず、離れることなく。
それはとても幸せなことのように思えて、俺は口の端を吊り上げた。ああ、胸糞が悪い。
何が幸せだ、彼女の全てを奪っておいて。

獣じみた咆哮が空気を震わせるのを他人事のように感じる。
己の醜さに耐えかねて、罪人がまた衝動的に断罪を求めている。
彼女は人形のようにただそこにあって俺の愛撫を無機質に拒むだけで、俺をこれ以上責めてはくれない。
打ち据え、なじり、命を奪ってはくれない。
そして時が来れば俺をまた許すのだ。彼女は優しすぎるのだから。
こみ上げる愛しさが苦しくて、俺はまた声の限りに悲鳴を上げた。声が枯れるまで、枯れてもなお叫び続ける。何度でも、繰り返し。
アリスと俺と二人きり、棺のように閉ざされた小部屋で、安定したこの温い責め苦は延々と続くものだとそう思った。
だが、咎人にはそんな甘い未来を与えてはくれないらしい。

背後に殺気を感じた途端、掠れて尾を引いた慟哭に銃声が重なった。
軽い速射の軽快な音のリズムに、アリスがタイプを操る軽やかな音の連なりを思い出す。
執務机に並んで座り、何かを話すこともなくただ時折視線だけを交わしていた。
傍で仕事をこなしていただけで気持ちが満たされるような、あの穏やかな時間。
二度と戻らない何気ない日々の断片を反芻し、燃えるような痛みの中で幸せに浸る。
何発食らったのか分かりやしないが、背中一面に焼きごてを圧されているようだ。
体中の筋肉が勝手に収縮と弛緩を繰り返し、バランスを失して崩れ落ちる。
抱きかかえていたアリスも傾いでしまって、床に頭を打ち付けなかったか心配だ。
少したりとも離れてしまうのが嫌で、すがるように抱きしめて床にうずくまる。
静寂を取り戻した室内に硬い靴音が響き、悪趣味なブーツの爪先が見えた。

帽子屋だ。帽子屋が俺達を見下ろしている。
いつもと同じスカした表情に、目だけを嫉妬で燃え上がらせて。
そのツラが愉快だと思ったことが、この残念な結末への始まりだったのかもしれない。
俺は愚かだった。
懸命な彼女は顔を赤くして、もう止めて欲しいと何度も懇願していたのに。
人目を恥らうそのうぶな仕草がそそるだとか、俺は馬鹿なことを考えていたのだ。

帽子屋が何事か呟いているが、体内の血が逆流するごうごうとした鈍い雑音が耳鳴りのようにまとわりついて聞き取れない。意味が分かったのはたった一言だけだった。
羨ましい――そう聞こえた。

やっぱりお前も最低な男だなと、そう思う。
こんな愚かで強欲なエゴイストにばかり求められてアリスが可哀想だ。

――失せろ。

そう言ったつもりだったが、ごぼ、と血の塊を吐き出しただけだった。
アリスの白い肌を赤黒く汚してしまったことを残念に思う。
止めようと思うのだが、幾度も咳き込んでしまって、アリスがますます血まみれになっていく。
俺の薄汚い中身が溶け出して、彼女にべったりとへばりついているようだ。

溶ける、というのはいいかもしれない。

頭の奥から凍えてかじかんで、しびれた脳みそでふと考えた。
死んだ体が古くなったら、溶けて流れて、薄まっていくのだ。
形を無くして広がって、世界中にたゆたっていく。そんな風ならいいかもしれない。

アリスの胸に墓標のように突き刺さったナイフを見る。
今、目の前のこのナイフを抜いたら、アリスの中身が溶け出して流れ出てはこないだろうか。
きっとそれは俺がだらだらと垂れ流している汚らしい赤ではなくて、どこまでも澄んだ湖のような、清廉な水色をしているだろう。
そうして俺の穢れた赤を洗い流し、交じり合い、薄まっていくのだ。
俺と一つになって形をなくしてしまえばいい。

――彼女の姿をこれ以上帽子屋に見せるのも業腹だしな。

今にも死にそうだというのに、俺は全く嫉妬深い。
彼女の命を奪ってしまってさえ、懺悔して改善するどころかますます醜く募らせていく。

アリス、アリス、何度名前を呼ぼうとしても、ひゅうひゅうと空気が喉を通り抜けるばかりで声にならない。
かわりに、カタカタカチカチと音がする。
言葉をつむごうと痙攣した顎が無意味に奥歯を打ち鳴らしているのか。
自分の意思と関係なくがくがくと震える体のせいで、仕込んだ暗器が擦れあっているのかもしれない。

震える腕を必死に伸ばし、ようやく柄に届いても、血で滑ってうまく握れない。
時計の針が動きを止めてしまう前にこのナイフだけは引き抜いてしまいたいと願う。
あと少し。

カチリ――――。

ひときわ冷たく硬い音が、響いた気がした。

  • 九尾まどか
  • 2014/09/01 (Mon) 13:56:41

恋人ごっこ中グレアリ前提、薔薇園死亡エンド

 心臓が止まった少女の体は、時計となって消えることもなく、ただ静かに静かに冷えて行くだけだった。

「馬鹿な子」

 薔薇園の中央で芝生に直接座り込んだ女性が、少女の頭を膝に乗せた。爪を赤く塗った指が、少女の白い頬をゆっくりと撫でる。元々色の白い娘だったが、今の白さは、血の気の失せた気味の悪いものだ。薔薇に降りた霜を思わせる。
 赤い爪の持ち主が、自らの城の薔薇にそんなものを見付ければ、その薔薇は庭師ともども散ることになるだろう。そして、この薔薇園ならば、そんなものは端から許さない。

「ほんに、馬鹿な子。あんな男を選ぶなど、正気の沙汰ではないわ」
「全くだ」

 二人の女の傍らに立ち、少女を見下ろしていたブラッドは、姉の言葉に心から同意した。
 植物に降りた霜は、植物を直接冷やすことにより、その活動を阻害し、最悪の場合枯らしてしまう。赤薔薇と赤の女王の中にぽつりと現れた霜は、それ以上に自らを冷やして行っていた。時計に戻るわけでもなく、ただただ冷たくなっていく、その身体を見つめる。
 意味のないこの世界で、唯一意味のある存在だった少女――――アリス=リデルの死体が、そこにあった。
 死体を見つけたのはエリオットだった。巡回の途中、銃声が聞こえたので駆けつけてみると、そこに彼女が血まみれで横たわっていたという。犯人は部下に捜索させ、エリオットはアリスの身体を帽子屋屋敷まで持ち帰り、ブラッドに渡した。屋敷内は騒然としていた。彼女は帽子屋屋敷にもよく遊びに来ていたし、誰からも好かれていた。双子は泣き喚いて死体にかじりつき、エリオットは怒りに体を震わせて、彼女を殺した犯人を捜しに行った。やがて悲しみをぶつける先を求めて双子も出て行き、ブラッドは、彼女の身体を横抱きにしてここに持ってきた。力の入っていない身体は酷く重たく感じられたが、そんなことを指摘しても、彼女はもう怒りもしない。
 薔薇園に入ると、既にビバルディが待っていた。他の役持ちも、彼女の死を既に感じ取っているという。最も取り乱しているのはやはり白兎で、逆に外面上最も落ち着き払っていたのは騎士だという。そして二人とも、上司の許可も取らずに城を出て行ったらしい。

「犯人は、未だ掴まっておらぬのか?」
「さあな。指揮権はエリオットに預けてある。だが、どうせすぐに捕まるさ。この国の役持ち全員から追われるんだ、逃げ切れるはずもない」
「お前は追わなくていいのか、愚弟よ」
「姉貴こそ。私は、捜索は部下に任せるさ。拷問をするからと、殺さないようには言ってある」

 会話をしながらも、二人の視線は少女から外されることがない。霜にまとわりつかれた植物の気分だった。
 外の世界は、喧騒に満ちているだろう。役持ちのほとんどが、彼女を殺した犯人を捜しているであろうし、見付ければ即座に、彼女が嫌った血なまぐさい事態が始まる。けれど、ブラッドはそこに出て行く気にはならない。霜に活力を奪われているのだ。

「拷問などせずとも、分かりきっておろうに」

 何が、とは訊かない。それこそ、分かりきった話だ。
 アリスが殺された理由。彼女が今、ここで冷たくならなければいけなかった、その理由。どんな理由だろうと、ブラッドを納得させるには足りないだろうが、ある程度の推測はつく。
 おそらく二つに一つだ。時計屋か、蜥蜴か。どちらかに恨みを持つものが、彼らの大切なものに手を出した。時計屋がこの国にいないことを考えると、蜥蜴の線が濃いかもしれない。なにせ、ただ親しいと言うだけでなく、あの男は彼女の「恋人」だったのだから。
 「恋人」と言っても、本物じゃないの、と、アリスは以前この薔薇園で言っていた。ビバルディもいたから気が緩んだのだろうか。自嘲して笑う姿に、いつもの気丈さが欠け、細い肩がさらに弱々しく落ち込んでいた。

 ――頼み込んで恋人の真似事をしてもらっているの。グレイは本当は、私なんて相手にするような人じゃないもの。

 愚かな女だ。どう考えても、惚れ込んでいるのは向こうの方だったというのに。

「確かに分かりきった話だな。だが、楽に死なせてやるわけもないだろう。示唆した人物がいるのなら突き止める必要もある」
「まあ、当然じゃな。わらわの城の者が捕まえたら、わらわ自ら痛めつけると決めておる」
「貴女のところの白兎や騎士が、その役目を素直に譲るとは思えないがね。それに、塔には夢魔が居る。蜥蜴が捜索に出ずとも、あそこは強いだろうな」
「蜥蜴が……? あやつが一番、血眼になっておると思ったが」
「蜥蜴は今、うちの屋敷の門にいる」

 ビバルディは、初めて顔を上げて、ブラッドをまじまじと見た。ブラッドも、初めて少女から視線を外し、姉を見る。

「彼女の身体を取り戻したいらしいぞ。だが、易々と渡すはずもないだろう。門番たちが、お嬢さんが殺されたのはあいつのせいだと、怒りをぶつけに出て行ったよ」
「……それはそれは。だが、本気になった蜥蜴相手では、あの子供たちでは勝てぬだろうな」
「ああ。だが、どれだけ必死に探そうと、この薔薇園には入って来られない」

 意識的に口角を上げる。姉は、ブラッドを映す鏡のように、艶やかに笑い返してきた。その笑みは、凄惨な、と形容されそうなものだ。女王が処刑のときに見せるものよりも、ずっと静かで苛烈なそれは、雪の中で燃える炎をブラッドに連想させた。雪に消されることもなく、吹雪だろうと雹だろうと溶かしてしまうような激しい炎。きっと、自分もそんな表情をしているのだろう。

「怒っておるのだな、愚弟よ」
「姉貴こそ」

 「恋人」を名乗りながら、彼女を守りきれなかったような男に、簡単に彼女を渡すわけにもいかない。
 不意に、ブラッドは屋敷の方を振り返った。一応、屋敷で起こることは把握できるようにしてあったのだ。

「……ああ、どうやら門番たちが負けたようだな。仕方がない、私が出るとしよう」
「言っておくが、そのうち、城もこやつの身体を手に入れるために動くよ。特に、ホワイトのやつが黙っているはずもない」
「はっ、戦争か。結構じゃないか、退屈せずに済む」

 吐き捨てるように笑った。争うことなど怖くもない。ブラッドなど、生きても死んでも意味はないのだ。代わりなど掃いて捨てるほどいる。

「手始めに、蜥蜴とやるのも悪くない」

 ステッキをマシンガンに変え、シルクハットのつばを下げる。狭くなった視界の内で、蜥蜴のことを話していた、あの時のアリスを思い出した。

 ――頼み込んで恋人の真似事をしてもらっているの。グレイは本当は、私なんて相手にするような人じゃないもの。
 ――でも、それでもいいの。好きなんだもの。望みがないなら、こんな形だって傍にいたい。

 きっと、アリスの身体は、最終的には蜥蜴に渡るだろう。それがアリスの望みだと、役持ちの誰もが知っているから、誰もが最後は諦める。知らないのは蜥蜴本人だけだ。
 あの、似合いもしない健気な表情を浮かべさせた張本人だけが、彼女の思いを知らなかった。

「本当に、君は愚かな女だったよ、お嬢さん」

 満開の薔薇を一本手折り、彼女の身体にそっと乗せた。美しいものが好きだと言いながら、自分がそれに触れるのは相応しくないと思っているような、そんな少女だった。幸せも祝福も忘却も、何もかもを拒んでいた。賢く、愚かで、気高く、無様で。無邪気な笑顔よりも、皮肉げな笑みの方が記憶に多く残っている。

「だが、私はなかなか、君を気に入っていたよ。アリス」

 姉は何も言わず、その光景を見ていた。きっと、ブラッドが去った後に、彼女のために泣くのだろう。この薔薇園はそういう場所だ。
 最後に、瞼に一つキスを落として、ブラッドは屋敷の方へと歩き始めた。

 「恋人同士の間を割くなんて、悪役みたいでお似合いね」と、笑う声は、もう聞こえない。
  • 2014/07/21 (Mon) 22:24:35

【クローバーのペタアリ】あなたのために在りたいわたしの話。


 ――そんな切な願い事を、聴いた気がした。

「どこにも往かせません」
 それは慥かな拘束の言葉だっただろう。首輪をつけても、足をもいでも、絶対に離れはしないのだと白兎は云うのだ。けれどそれはとても弱々しい楔でしかないことを知っている。そんなもので拘束できるのなら、きっととっくにこの白兎はそうしているからだ。
 奇妙な信頼があったものだと小さく嗤うふりをして、アリスはまっさらな月白の色をした髪に指を差し込む。怜悧な冷たさを抜ければ、兎の高い体温を孕んだ柔らかなさわり心地。いつか、この温度から手を放すのは自分の方からであるような気がして、唐突に怖くなる。これ以上に誰かを裏切るなんて、そんなことはしたくない。
 ――これ以上?
 アリスは首を傾げた。誰かを裏切ったことなど、なかったはずだ。こんなに大きな罪悪感を抱かなくてはならないほどの嘘など、吐いた記憶がない。それだのに、心を圧し潰すような罪悪感だけがある。まるで心臓の奥に重い鉛を置かれたようだ。
 蒼い部屋だった。幾枚もの夥しい扉と、狂ったような軌道を描く奇妙な廊下。重力になんて縛られずに、ただそこに在ることだけを静かに主張する別天地への繋がり。奥へ奥へと知らず知らずに足を踏み入れるたびに、水底へ沈んでいくような心地の良さと肌寒さを感じていた。
 けれど今は、それよりもずっと確固とした感覚で、この場所にいる。足は地面にきちんと着いているし、座っている階段の冷たさも錯覚ではない。そう信じられるのは、白兎の腕が、彼女の背中にまわされているからだ。
「本当に、どこにも往かせないでくれる?」
 馬鹿な質問だと思う。この場所まできたのは、慥かにアリスの足であったはずなのだから。それだのにどこにも往きたくないなんて、とんだ我が儘があったものだ。
 どこへも往かせないと、白兎は云う。けれどそこにある決意には、どうにも自信のような何かが欠けているように思えた。
「どこにも往ってほしくないんです。これは僕の我が儘だけれど」
 だからどこに往かせません、と云って、白兎は腕に込める力を強くした。それが宣誓ではなく願いだと思ったのは、指先に感じる幼子の怯えのような震えがあったからだろう。
 二つの時計がバラバラに秒針を振るわすように噛み合わない会話は、けれど二人の願い事が重なっていることを教えていた。
 どこへも往きたくないと、声に出すことはできなかった。そうした欲が喉元を迫り上がってくるたびに、溢れる罪悪感がそれを呑み込んで、潰して殺してしまうからだ。そうすると、呼吸ができなくなる。見上げた空間の蒼さに凍えて、沈んで、消えてしまう心地を味わうはめになるのだ。
 消えたくはないと、小さく思う。もしもアリスが消えてしまったなら、この白兎はどうにかなってしまうだろうから。他人にそんな理由を求める卑怯さを恥じながら、けれどそう信じさせてくれるこの白兎の方が悪いのだと責任を転嫁した。
「お茶にしましょう。美味しい紅茶と、美味しいお菓子を用意して」
 味がわからないのだと云った貴方でも、美味しいと云えるように。そうやって、小さく広がってゆく世界の中で笑えるように。そのために私はいるのだったらいいと、願い事のような不確かさで祈らずにはいられなかった。
 アリスの言葉に少しだけ緩んだ腕を辿り、その手を握る。そうしてその戒めから抜けるように立ち上がれば、階段の下から見上げてくる鮮血の眸があった。硝子玉のような透明な傷一つないそれは、落とせば簡単に割れてしまいそうだ。裏切りたくないと、また思う。
「はい、アリス。きっと貴女の口に合うものを用意しますね」
 アリスの真意を、白兎がどこまで理解していたのかはわからない。それでも、そうして仄かな笑みを浮かべて答えたのは、彼の優しさだったろう。その髪のようにまっさらで柔らかな、真綿の優しさだ。
「あんたも食べるのよ。自分が美味しいと思うものを用意しなくちゃ」
「難しいですね。貴女と食べるものはなんでも美味しいですから」
 それが真実なのだと信じさせられるだけの愛を、白兎は湛えている。だから、せめて彼が一疋でも食べ物を美味しいと感じられるまでは、ここにいさせてほしいと願うのだ。そうして、そんな日がいつまでもこなければいいとも、願っている。それはとても浅はかで、小狡い願い事。
 ずるずると水底に落ち込んでゆく意識を振り切って、漣から逃げるように階段を降りて往く。繋がれた手は放されぬまま。これではいつかと反対だ、と、笑おうとして、そのいつかがいつであったのかがわからなくなる。
「貴女にこうして手を引いてもらうのは、とても不思議な気分です」
 白兎も似たようなことを感じていたのか、そう云って、小首を傾げる動作をした。
「私が前を歩くのはいや?」
「いいえ、そんなことはありませんけれど……。ただ、貴女の後ろ姿を見るのは、とても切なくなるんです」
 どうしてでしょうね、と、云ったその顔を、見たわけではなかったけれど。アリスは黙って、強く強く手を引いた。ぐんっと従順な重点の移動。そのまま頭から転げ落ちてもかまわないとでも思っているかのような、躊躇いのない素直さ。白兎は、アリスと同じ段に立っていた。
「やっぱり、私がお菓子を用意するわ」
 ぱたりと二人の間におろされた手のひらに、想いを込めて。どちらが前にも後ろにもいない、同列で同一の関係。
「そんなっ! 貴女がする必要なんてっ、」
「いいのよ。その代わり、お茶は貴方に淹れてもらうから」
 どっちも必要だもの、と、アリスは云って、一段を降りる。ほらはやく、時間帯が変わってしまうわ、と、急かすように手を引いて、同じ段へと白兎を導いた。
「僕と貴女の共同作業ですねっ!」
「……いいわ、今回だけはそういうことにしておいてあげる」
 喜々と笑うこの白兎を、幼子のように必死な腕を、アリスだけを求める切な祈りを、どうして振り払うことができよう。彼女の優しさは、それを裏切ることを拒絶する。
 一人と一疋の歩調は乱れぬまま、同じ速度で。この部屋から出て往くための扉への道を、二つの跫は決して違うことも、迷うこともしなかった。


 ――往かないで、と、切な願い事を聴いた気がした。
  • スミ
  • 2014/06/28 (Sat) 21:02:28

ナイトメア+アリス+グレイ

 ダイヤの国に来て、不安を抱えつつ駅で居候することになりようやくその環境にも慣れてきた。
 今アリスは、駅長から許可をもらい、仕事も与えられた。役割があるのはいい。なにもせずただ日々を送るよりもずっと。

 受付の仕事を終えたのはひとつ前の時間帯。制服から私服に着替え、もうひとつの仕事をこなす為にアリスは駅長室にやって来ていた。
 正直これは仕事として与えられたものではないが、アリスは重要なことだと考えている。彼がこの先順調に成長していくには不可欠なことだとも。


「なっや、……やめろっアリス…な、なにを……!」
「ほらナイトメア、大人しくして、ね? いい子だから」
「い、いい子とかっそういう……ど、どこをさわって……っっ」

 執務机でうんうん唸りながら書類と睨めっこをしていたナイトメアを笑顔とお菓子で釣ればあっさりと誘いに乗った。手招きに応じてやってきたナイトメアに足払いをくらわすとあっけなくソファへ倒れこむ。すかさずその華奢な体に馬乗りになり、両手を頭上で封じて身動きを封じた。

 ここまでは順当。考えの読めてしまう彼に作戦がばれないか不安だったが、それは以前から長く付き合いのあった大人のナイトメアよりも、子供の彼のほうがまだうまく考えを読むことができないのかもしれない。それともお菓子に目が眩んだのか。

 ともかくここまでくればこっちのもの、アリスはにっこり笑ってナイトメアを見下ろした。

「だめよ暴れちゃ」
 すでに考えを隠すようなことはしていないが、冷静でなくなったナイトメアはアリスの考えを読むことができないらしい。アリスが首に巻かれたリボンをするりと解き、頬に手を当てて顔を覗き込むように近付けると、元々青かった頬が次の瞬間まるで健康な少年にでもなったかのように赤みを帯びた。

「なっななななななななにををををををををを!!!」
「なにやってんだおまえら」
 アリスの細い指先がナイトメアの血色の悪い唇を押し開き、さらに顔を寄せたところで声がかかる。
「グレイ?」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぐぐれぐれれれれれれれ」
 そちらを見れば、ドア付近に呆れたような顔で立っているグレイがいた。二人を一瞥すると音も立てずに近寄ってくる。
「んなガキ押し倒して、欲求不満なのか? あんた」
「ちょっそんなわけ……!」
「と、一瞬思ったが、違うみてえだな」
 からかえば、押し倒されているナイトメアと同じく顔を赤くして反論しだしたアリスを片手で制し、グレイはにんまりと笑った。
「……わかってるなら、手伝いなさいよ」
 アリスの手には薬瓶。病院嫌い薬嫌い注射嫌いのナイトメアにこれらを進めるのは至難の業だ。もう強硬手段に出るしかないとは、駅全体の認識だった。
「だ、だました!? ひどいっひどいぞアリス!!」
 グレイに見せるために隠していた薬瓶を取り出したのを見て、ナイトメアは大きく目を見開き、赤かった顔が再び青くなる。
「やめてよ人聞きの悪い。ナイトメアがちゃんと薬を飲まないから悪いんでしょう」
「だ、だからってっだからって!!」
「まあそうだよな。期待しちまった童貞少年の純情を踏みにじられたんじゃ怒りもするわな」
 くくっとグレイが喉を鳴らす。からかうのか協力するのか、どっちなんだとアリスが睨みつければ、グレイはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
「まあこのガキにはとっとと健康になってもらわねえことにはな、俺も殺せねえし」
 いいぜ。と笑い、グレイもナイトメアを拘束にかかる。
「グレイ!!! こ、この! うらぎりものおおお!!!!」
「おまえの味方になったことなんか一度もねえだろ」
 アリスと交代して両腕を固定され、アゴを押さえられてはもう涙目で睨みつけるしかナイトメアにできることはない。せめて口は閉じてやると歯を食いしばろうとしたが、アリスの指が入り込んできてそれもできなくなってしまった。


 小瓶を口元に近付けられると独特の薬品臭がする。飲みやすいようにと液体薬らしいがこの臭いはいかんともしがたい。
「う、うううううう」
「はい、お薬飲みましょうね。全部飲めたら、ご褒美あげるから」
 笑顔はとても慈悲深く、見とれてしまうほど可愛いのにやることがえげつない。
 口の中に苦い味が広がってむせそうになり、いろいろな意味で涙が出そうになる。
 自分は偉いのに。尊敬される立場なのにこの仕打ち。ご褒美なんて、お菓子をくれたくらいでは簡単に許してやらない。しばらく夢に引きこもってやる。そうして駅長不在でみんな困ればいいんだ!

「うう……にがい……」
 ごくんと最後の一滴まで飲み込み、吐きそうになるのを我慢していると頬に柔らかいものが触れた。
「え?」
 ちゅ、と音を立てて離れていったそれがなんだかよくわからなくて、目を瞬かせながらアリスを見ると、ほんのり頬を染めたアリスがそっぽを向いている。
「ご、ご褒美。あ、お菓子あるから! 口直しに……て、なによグレイにやにや笑って」
「いーや、べつに」
 なにかを誤魔化すように持参してきたお菓子をテーブルに並べながらアリスはにまにま笑うグレイに悪態をついている。
 何をされたのか考えそして理解した瞬間、ナイトメアは高熱が出た時よりもさらに真っ赤な顔になって、そして、卒倒した。
  • くまの
  • 2014/06/14 (Sat) 02:51:44

エースとハートの女王

「なんじゃ。相変わらず迷っておるのか?今日で何日目じゃ?」
城内でたき火をしている青年に向かってため息をついてハートの女王は言った。
「はい。今日で一週間です。」
「・・・・いい加減にしないか。役なしであればわらわはお前をとうに斬首しておるぞ。」
「やだな~。何を今更言っているんですか。いつものことでしょう。」
ハートの女王は美しい美貌を歪めて心底嫌そうに言ったが爽やかに青年は答えた。
「お前とホワイトがやりあうを見るのは楽しいが、いい加減に仕事せぬか。」
「えー。俺は真面目に迷っているだけです。」
あくまで爽やかに言い切るエースにふんと彼女はその形の良い鼻をならした。
「お前に何を言っても無駄なことなどとっくにわかっておる。嫌味も通じぬ相手など話もしたくないわ。」
「声をかけたのは俺じゃないですよ。」
「ああわらわじゃ。時にアリスとずいぶん仲良くなっておると聞いたがどうなんじゃ?」
彼女は少しにやりと笑った。
エースは爽やかなまま答える。
「ええ羨ましいでしょう?」
「そうじゃのう。だがわらわも負けはせぬぞ。そなたの弱味も握れそうじゃ。楽しみだのう。」
「また弱味だなって~。」
凄みのある美しい微笑みにエースは爽やかな笑顔で返した。
  • 胡桃
  • 2014/06/14 (Sat) 01:34:31

三角関係

グレイと恋人同士になった。だけど、不安が残る。
だって彼は大人で誠実な人だ。自分が子供だということを思い知らされる。
だから逃げているのかもしれない。私がユリウスのところへ行っている理由に。

「相変わらず、お前はここに来て暇なのか?」
「だって、居心地がいいんだもの」
ユリウスは私が入ってくるなり眉根を寄せて呟いた。
手には、修理中の時計があって相変わらず寝食を忘れるぐらいの仕事をしている。
その証拠に隈が出来ていた。
「トカゲはどうした」
「グレイは見回りよ。私は今休憩中」
「そうか」
ユリウスはそれだけを言って立ち上がった。
「コーヒーを入れてやる。外は寒いからそれを飲んでいけ」
「ありがとうユリウス」
ユリウスは優しい・・・。だから、不安なんて無い。
グレイはといえばユリウスがいなくなったときに慰めてくれた。
ただそれだけだったのに今ではユリウスを意識している。
まるで、私がユリウスの下へといってしまうかのように。
そんなはずが無いのに。グレイは私を信じてくれはいないのだろうか。
そのときだった。
「ユリウス、たっだいま~」
大きな音を立てて扉が開く。あんなに強く開いたら壊れてしまうなと場違いな考えが浮かんでしまった。相手は見るまでもない。エースだ。
「エース、扉壊れちゃうわ」
「やあ、アリス。来ていたんだ」
「ええ、ユリウスならキッチンよ」
「そっか。まるで夫婦みたいだな。そう思うだろ?ユリウス」
「誰が夫婦だ」
二つのコーヒーカップを持ってユリウスがエースを睨んだ。
「え?違うのか。俺にはそう見えたんだけど?」
「もういい、エース」
ユリウスは私にコーヒーを渡した。
「ありがとう」
そう言ってコーヒ-を口に運ぶ。
すると、エースはつまらなさそうにした。
「ちぇ~。二人ともつまんないぜ。ユリウスだってアリスのこと恋愛感情で見ているくせに。そう思うだろ?ねえ、トカゲさん」
エースの爆弾発言に私は急いで振り向く。
そこには雪の名残をちらつかせたグレイが立っていた。
「・・・トカゲか」
ややこしいときに来たものだな、とユリウスは溜息を吐く。
「否定はしないんだな時計屋」
「ちょっと、グレイ。見回りは?」
「もう終わった。アリス、君は仕事だ」
「ちょっと待ってくれよ。いきなりいい雰囲気になっている二人の間に挟んでこないでよ」
エースはグレイに向かって口を開く。
「お前は黙ってろ、エース」
「えー」
「トカゲ、言っておくが私はアリスのことは恋愛感情で見ていない」
確かに私に向けるユリウスの眼差しは親愛の情であってグレイのような恋愛感情をでは無い。
「嘘をつくなってユリウ・・・ぐふう!」
ユリウスのスパナがエースの腹に食い込んだ。
エースは苦しそうに呻く。
「し、仕方が無いな・・・それ!」
エースはいきなり私の背をユリウスに向かってどんと、強く押した。
その拍子で私はユリウスに覆いかぶさって彼の唇に触れてしまう。
「!」
「!」
「!」
「エース!!」
最悪だ。グレイにユリウスに最悪なことをしてしまった。
グレイはきっと嫌うだろう。ユリウスはこれまで以上に気まずくなるだろう。
グレイは私を引っ張ると抱き上げて黙ってユリウスの部屋から去る。
ユリウスも無言だった。私は成す術が無かった。
  • lidea
  • 2014/06/13 (Fri) 23:30:45